痛みと優しさ CLOW
今日、CLOWというシンガーソングライターのライブに行ってきた。ワンマンライブ、しんしん。
CLOWの歌を初めて聴いたのは去年の今頃だ。どうやって出逢ったのか、正直よく覚えていない。ネットの海の中から偶然目にしたのだろうか。
たしか、一番最初に聴いたのは"みんな同じ恋の歌ばっか つまんない"だったような気がする。曲名を見て真っ先に、この人は世間(社会あるいは世界)を疎ましく思う偏屈な人間なのだろう、と思った。私は昔から社会にうまく馴染めず(というより馴染むことに多大な労力がいる)、いつも息苦しさを感じていたから、こういう世間にカウンターパンチを食らわすような曲名にとても惹かれて曲を聴いてみようと思ったのだろう。
ただし、それと同時に不安も覚えた。こういうカウンターパンチには大抵、肥大化した自意識が付随する。期待と不安、そんな半々の思いを抱きながら曲を再生したのだった気がする。
しかし、曲を聴いてみたら最初に抱いていた不安は消し飛んだ。この曲は社会全体の没個性を批判することが本質の歌ではなかった。他人に向いていた矛先は、最終的に何もない自分に向いていく。そして、何もない、そんなものが集まってできたこの"何かある世界"を肯定する歌だった。
衝撃を受けた。こういう生きづらさのようなものの原因を外の世界だけに求めるのではなく、自分と向き合い傷口を直視するような歌をずっと聴きたかった。一気にCLOWという歌うたいの虜になったのだった。
前置きが長くなってしまった。上記はCLOWというシンガーソングライターの曲を初めて聴いた時の感想だ。
ライブの感想はこれからです。
そんなこんなで彼女の歌に衝撃を受けてから、ずっとライブに行って、生の歌声を聴いてみたいと思っていた。
どうせならワンマンライブ、尺が長くてその人の世界を一番味わえるやつって事で、仕事を休んで風知空知に来たわけである。
先に感想から言わせてもらえば、"素晴らしい歌をありがとうございます。来てよかったです。これからも歌い続けてください。"の一言(一言?)に尽きる。
音源でも感じる彼女の素晴らしさがライブでは尚一層強く、広がりを持って私の耳に届く。
鋭利な言葉、優しい歌声、痛みを伴う叫び、囁くようなギター、激しく揺れる弦、そしてどこまでも響く静寂、その全てがCLOWを形作る。
音楽に救われたとか、そんな大層なことはあまり言いたくない。インドに行って人生観変わったみたい戯言と同じでそんな訳ないじゃんと今まで思っていた。けれども彼女の歌を聴いた時、この人の歌に救われたと、本気でそう感じた。そしてこれからも、なんども救われるかもしれない。死を思いとどまらせるのには十分な力を持っている。彼女の曲を聴くことで、なんとか生きていこうと思える。
私は今もひとり、広い海を漂っている。自分の存在も、世界の意味も、分からないまま生きている。苦しいことではある、けれどもその苦しみを持って、これからも進み続けねばいけないと思っている。"さいごの航海"という曲がそんな私の背中を押してくれる。
今回のライブではなんとか涙をこぼすことなく、最後まで見届けることができた。
何度も溢れそうになるのを堪えた。
痛みも伴うが、最後には光が差す。これからもずっと聴いていくのでしょう。それくらい大切で普遍的な音楽だと思います。
できる限り長く、これからも歌い続けて欲しい。
また来年の2月、ライブに行きます。
p.s.
アンコールで歌っていた"チャリをこぐ"という歌も良かった。私は最近ファンになったので、この曲の存在を知らなかったが(以前CDで出ていたみたいだけどもう手に入らず)、また音源で聴けるようにCDかサブスクで出してもらえないかなぁ。